必ず会うべきひと

それからの私は、ずっとその人のことが気になっていた。自分の理想通りの人生を生きている人がこの世界にいること、その人が何故あんな表情で歌っていたのか。普通なら楽して仕方がないような、人に妬まれるくらいの幸せな表情でいてもおかしくはないはず。
私の中の常識では考えられないような人にはじめて出逢ったこと、その人を見た瞬間の電撃的な出逢いとで私の頭の中はこの人で埋め尽くされていった。
何をしていてもあのときの顔が忘れられない。あの姿が忘れられない。ファンとはまだ言えないほどの数日の間に色んなことが気になって、「あの人はどんな人なのか」「どんな人生を送ってきたのか」を知りたくなった。
手始めに今まで出している曲、どんな活動をしていたのか…などネットにある情報でしかないが、時間のあるときには携帯を手にしていた。デビューして間もないのに沢山の曲を出していること。
そのすべての作詞を歌手本人がしていることを知った。
「曲を聴けばこの人の考え方、モノの見方がわかるはず」もうすっかりこの人の虜になっていた。
何に惹きつけられたのかさえわからない。あっという間に心を掴まれたほどの存在感と自分はこんなに誰かに興味を持つ人間だったのかという敗北感を感じつつ、これが “運命の出会い” というものなのかというのを感じていた。
20歳そこそこの私には、この出来事は今後の人生に大きく影響を与えることになる。
あの日もうひとつ思い出すのは、テレビでその歌手を喰い入るように見ていた私の心に朧げに浮かんでいたことは、「私はこの人に会うことになっている」「この人に会わないといけない」んだという思いだった。
若い頃の感覚なんて一瞬の気の迷いのようなものなのかもしれない。若い頃の感覚は敏感で、それが一生を左右するような強い想いになることだってある。私自身もそれだった。
しかし、その想いが私の目標になり人生の中の幾度もの選択の度に思い起こされた。
理屈じゃないその感情は、若かった自分の独りよがりの感情だったのかもしれない。
だが、私は『この人にいつか必ず会う』という不思議にもそんな確信があった。
『この人とは出逢うことになっている』
そういう世界には全く縁のない環境で生きてきたにも関わらず、雲の上の存在のような人との出会いを夢見ていたのかもしれない。ただの錯覚だったのかもしれない。
特に何の目標も夢もなかった頃の自分には、そんな出逢いは鮮烈すぎて心の中に大きく影響したのだと思う。それからの自分自身の生き方を決め、人生の目標や指針となっていた。
それが本当に夢と言えるようなものだったのかはわからないが、遠すぎて会える見込みのないどうやってそんな人に縁していくのかさえなんの検討もつかないまま、とりあえず思いつく限りのことをしてみようと思い立った。
自分とはちがう世界の

毎日毎日あの人のことが気になる。ファンとはこういうものなのか…今みたいに過去の映像が動画配信アプリなどで観れるような時代ではなかった。リアルタイムのテレビ出演やラジオで流れてくる曲を聴くくらいしかなかった。
そこからの自分は、どうしたらあの人と会うことが出来るのか力一杯考えた。前に発売していたCDなどを集めてどんな歌詞を書いているのか、この人の人となりや考え方を知りたいと思った。
幸運だったのはデビューして1年くらいのはずだが、話題になっていて人気があったのだろう。多くの雑誌に取り上げられていた。コンビニや書店に行けば必ず置いてあるような雑誌の表紙になっていた。それを買いあさりそこに載っているインタビューを片っ端から読んでみた。なんてことない普通の芸能人のインタビュー記事だったように記憶している。
派手な見た目とは違いしっかりした考え、自分というものを持っている人のように感じた。同じくらいの歳だったというのもわかった。出身も案外近くの出だということ、その他にも似通っている点は思ったよりも多かったことに驚いた。
数ヶ月で色んなことを発見しながら日々を過ごしていた。気になりだしてからというもの結構な頻度で音楽番組に出ていることを知り、毎回リアルタイムで観れる訳ではないので録画をして後日観たりしていた。それだけ人気のある歌手のはずなのに、意外にも私の周りにはその人のファンだという人はあまり見かけなかった。それもあってテレビの感想を言い合ったり、CDの発売がいつなのかなどと情報交換をするようなこともあまりなかったので、今でいう『推し活』などとは言えなかった。
かろうじて雑誌に載っている情報で、新曲の発売やテレビなどの出演を知ることは出来た。雑誌の隅の方には簡単なプロフィールとファンクラブの募集をしていることも書かれてあった。
ファンクラブに入ることで色んな情報もわかるし、会費はその当時にしたら高めのような気がしたが、周りには同じようなファンの人はいなかったので情報収集だと思い入会してみることにした。
入会してまもなく会員証と会報が届いた。それがとても嬉しくはあったが、会報を見るほどに同じくらいの歳であるのに自分とは真逆の人なんじゃないかと思うようになっていた。自分とは全く違う世界で生きていて華やかで綺羅びやかな、いつも周りにチヤホヤされてお姫様のような生活なんだろうなと想像だけが膨らんでいった。
そんなタイプの人に憧れることなんてないとずっと思っていたはずなのに、あのときの表情だけが私の中にモヤッとした気持ちを残していた。
人見知りで人嫌いだった私は誰かと趣味や楽しみなことを共有するというよりは、自分自身の中で密かに思っているような暗い人間だった。話をすることも苦手であったし、何かを伝えるということも口で言うよりも文章にして伝えることの方が相手の顔色を見なくてすむから安心だったのかもしれない。
しかしこの人は華やかな見た目とは違って、歌っている歌詞や書かれてある言葉は全く違っていたことに、歌を聴くたびに感じるようになっていた。表舞台にいるこの人と本来の人間性は大きなギャップがあるように感じ、この人の本当の姿はどちらなのだろう。とますます興味が湧いてくる。
そんな人物に出会えたことも、この人に会うべくして出会ったように思えた。
*この物語はフィクションです。