3度の手紙

昔はファンクラブに入ることで、ファンクラブサイトから直接メッセージを送れたりした。雑誌にも事務所にファンレターを送れるように小さく所属事務所の住所も書かれていた。今では考えられないがそんな時代であった。
私は意を決してその人に手紙を書くことにした。単なるファンレターなのだから一般的には、どれだけ好きなのかと熱烈な気持ちや曲の感想などを書くものなのだろうが、そんな誰でもが書くような言葉を並べるつもりはなかった。
書きたいことが思い浮かんでいたわけではなかったし、文章を書くことが得意だったわけでもない。今となっては何を書いたのか細かくは覚えていないが、始めてテレビで見たときの私にとっては衝撃的な出会いから、失礼ながら何故か苦しそうに歌っているように見えたということを自分なりの言葉でありのままに書いたような気がする。あまり気の利いたことは書いてなかった気がする。
それを読む相手からは拙い文章で、何が言いたいのかわからないような読みにくい手紙であっただろうと思う。それをあの人が読んだのかは定かではないし、そもそも手元に届いたのかすらわからない。変わり者からの手紙と捉えられたかもしれない。
そんなことは若かった私にとっては思いもせず、それを相手が読んでも読まなくても3度だけ手紙を書こうと決めた。独りよがりの自分勝手な決め事であったが、その3度で何かの結果が出なければ、反応がなければこの人とは縁がなかったんだ…と、半ば賭けのような思い込みで始めた挑戦であった。縁がなければ諦めようとさえ思っていた。
自分の感性や感覚を大切にして生きてきたこともあり、これは違うなと思うことならあっさり切るようなサバサバとして性格であったし、でもその自分がこれだけ情熱をかけられるものが出来たことも自分自身が変化してきたこともこの人に出会えた奇跡のひとつなのかもしれないが、それほどの人に人生で巡り会えたことは自分にとって特別なことだった。
『奇跡を起こす』それくらいしないとあのときの衝撃には理由がつけられない気がした。何故、電撃が走るような感覚に襲われたのか、一生涯で会うべき人と感じたのか…いつか出逢うべき人であるなら、奇跡を起こすくらいの何かがないと説明がつかない。

現実離れした思い込みでもない限り、天と地ほどもあるような存在に近づく術もない。常識的な考えの持ち主ならそんな人に会おうとは思いもしない。常識を超えないと自分という存在にすら気づいてもらえない。人がやらないようなことをしないといけないような気になっていた。
もっと賢い人なら学校か何かに行って専門的な勉強をして、芸能関係の仕事に携わるだとか何かしらの分野でその人に関われるような道もあったのかもしれない。
やはり私は変わり者なのだろう。ここはありのままに書いてしまうが、一般常識というものが欠けているせいかそういう考え方をしていなかった。
『むしろ人とは違うやり方でこの夢を叶えたい』
誰もやってないことを、誰もやったことがない方法でこの縁を繋げたい。誰も進んだことのない道を開拓するようなそんな感覚だったのだと思う。
どういう縁で出逢うのかなんて分かるわけもないのに、でもそういう出逢い方は自分の望むところではないんだと思い込んでいた。人と同じことを嫌う性格は今もあるのだが、その頃は極端に向こう見ずな性格であった。
しかしその若き日の思いの強さは今の自分から見ても恐ろしいと思うほど、周りの環境を動かしていくことになる。そこからこんな展開になろうとは、当時の私は思いもしなかった。
*この物語はフィクションです。