運命とよべるもの #04

小説

思いの強さはまわりを動かす

「思いの強さは現実をも動かす」と聞いたことがあるが、若さゆえの思い込みであったとしても何の迷いもなく実現するものだと思えていた。大人になるにつれそういった感情は薄れてしまう。

周りに合わせてしまったり一般的な考え方に自分自身を抑え込んでしまう。

本当にやりたいことがあっても周りの環境のせいにして諦めてしまったり、突飛なことをすることを嫌がる傾向にあるように思う。そういう気持ちはその頃の私にはなかった。自分は世間知らずの変人なのだろうと思っていたし、人がやらないようなことを好んでいた。

そんな私だが相変わらず引き込み事案な性格のせいで、友人も限られた人だけであったし人前で話をすることもあまりなかった。そのせいで、朝から晩まで買い集めたその歌手のCDを1人で聴くことが日課になっていた。

何をするにもこの人に影響されていたんだと思う。出逢う以前の自分がどんなであったかを忘れてしまうほど、この人を見つけることは必然であったかのようにのめり込んでいた。

歳はそんなに変わらないのに自分よりもずっと先を生きている人のように思えていた。

考え方や生き方に影響を与えられていた。

丁度この頃から社会人になって多くの人と出会うようになった。会社組織の中で色んな人に接しないといけないようになると、少しずつ人と関わることもできるようになっていた。

当時の先輩たちや上司など尊敬していた人たちが私にもいた。未熟な自分から見たらとても凄い人たちだと感じていたし、教えを請うようなことも沢山あった。そんな人達のようになりたいと自分なりに努力していた。もっともっと上に行きたいと思って様々な本を読んだりした。色んなことを教えて頂いて必死にその人達に追いつこうとしてきた自分であったが、ふと自分の心の中に感じてたことは、なぜかいつの間にかそういった人たちが自分の後ろを走っているような感覚になることがあった。

自分が求めていることの答えを見つけるのが難しく感じることが多くなっていた。少し大人になって人と話すことも平気になって人と打ち解けることができるようになっていたが、でも誰と話していても物足りないような満たされないような気持ちになっていた。

でもあの人の歌を聴くと、その歌詞の中に答えがあるように感じていた。自分が努力してもしても追いつけない人であり、その人の背中すら見えないくらいずっとずっと前を歩いている人。

『どうしてこの人はこんな言葉を書けるのだろう。』

自分の人生の目標とする人であったし、生きている環境は違うけど同じくらいの年月を同じ時代を生きてどうしてこういう風に思えるのだろう。そして何より自分が走っても走っても追いつけない人、いつもいつまでも追いかけていける人に出会えていることに深く感謝した。

人生はいつも追いかけるような人がいたほうが幸せで楽しいと思う。人生の師匠を持つ人はそういった感覚なのだろうかと思った。いつまで行っても人生に完成はないのだろうし、未完のまま終わることも多いのではないだろうか。それと同時に完成させてしまっては面白くないような、まだ先があると思っていた方がやりがいがあるのではないかと個人的には思っている。

映画のエンドロールを見てしまったら、物語の世界が終わってしまうようで寂しいような儚いような気持ちになったりする。だから私は、面白い物語の最後は見たくないと思ってしまう。引き込まれていた世界が終わってしまって現実に戻る瞬間が一番嫌いなのは今も変わらない。

*この物語はフィクションです。

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