踏み出した一歩

ずっとテレビとCDやLIVEのDVDを観ることしかなかったのだが、何度も何度もDVDを観ているうちにいつかライブにも行ってみたいと思うようになっていた。人の多いところや華やかなところは苦手でいつも避けてきた場所である。当時の私にはそれがとてもハードルの高いもののように思えて、一人で行くことなんて出来ないとすら思っていた。
今では考えられないことだが、そんな気持ちからずっと遠ざけてきたことでもあった。しかし、いつまでも自分の安心できる環境の中だけにいてはなんの変化もなく変われはしないこともわかっていた。所謂自分自身のコンフォートゾーンと呼ばれる場所から一歩踏み出さなければ、抜け出さなくては自分自身も自分の周りの世界も変化しない。
私自身なんの悩みもなく生きていたなら、そんなことを考えもしなかったのかもしれないが、でも自分には会いたい人がいる、その人に会うためには自分自身が変わらなければいけない。
その人に会うためには今までの自分とは違うことをしないといけない。今まで選ばなかった道を選ばないといけないと、そんな気持ちになっていた。
そう決めてからというもの、いろんなことが自分のために動いているような気になった。こうしたいこうなりたいと心に決めたことは、不思議と引き寄せられていくそんな話を聞いたことがある。
その時はわからなかったが、今ならそのこともなんとなくわかる気がする。
変えたい変わりたいと心を定めた時、人も周りも味方にしてくれているような、強く心に思ったことが現実になっていくようなそんな感覚がした。
どういう経緯だったのかは覚えてはいないのだが、その当時の先輩との会話の中でこの歌手が好きなのだということを自然と話していた。何か思い描くことがあるなら言葉にすることも、とても大事なことなのだと思った瞬間でもあった。
これがひとつの転機になったのかもしれないが、このことを機に私の人生が大きく動き出したような気がする。

もうすぐ地元でライブがあることなどを何気なく話したところ、一緒にライブに行こうということになった。私は飛び上がるほど嬉しかったが、あまり表に感情を出すタイプではなかったので静かに喜んだ。
それからというものチケットを申し込んで結果が出るまでの間、会場までの行き方を調べたりどんなものかと想像してはため息を付いてばかりいた。もちろん全てが初めてのことである。
程なくしてチケットの当選を知りライブへの参戦が現実のものとなって、まだ数ヶ月先のその日を思い描いては気が気ではなかった。大げさに言えば、自分の人生最大の時なのではないかと思えるほどであった。
そんな純粋な思いが自分にもあったのかと、当時の自分を振り返って懐かしく感じるほどそのことが特別なものだった。
毎日毎日ライブのその日を指折り数えて、カレンダーを消していった。もうすぐ、もうすぐ…そんな気持ちで仕事も何も手につかない。何をしていてもあの人に出会ってから自分に出来た、小さいけれどひとつの夢が叶うそんな気持ちで、その日が来るまで緊張と浮足立ったふわふわした日々を過ごしていた。
今思えばそんなに新鮮な気持ちで、ライブに行っていた自分を懐かしく感じる。何をしても冷めていて楽しいことなんてないと思っていたし、やりたいことも生きる目的も見出せなくなっていた頃でもある。人生に希望を持てずに、心が枯れているんだと思っていたそんな自分の唯一の楽しみになっていた。
この人の書く歌詞が、いつもそんな自分を支えてくれていた。この人の話をするときだけは、心が温かくなるのを感じた。派手な人が苦手なのは今も変わっていないが、見た目で人を判断できないことは学んだ。
色んなことをこの人から学んだ気がする。自分にはないものを沢山持っている人であるし、自分の気付けない自分に気づかせてくれる人なのだと思う。間違いなく私の人生を、価値観を大きく変えてくれた人だと言える。
そういう意味でも自分にとってはとても興味深い人で、また多くの人に影響を与える人なのだろう。
日に日に惹かれていくのを感じながら、自分自身の目でその存在を直接確かめる事ができる日が来ることを、心待ちにしながら期待と緊張の一日を迎えていくことになるのである。
はじめてあの人を知った日から数年後のことである
*この物語はフィクションです。